中山道の一大宿場町「奈良井宿」

新刊『暮らしの図鑑 お弁当』(翔泳社)の取材のため、昨年の夏、木曽めんぱの産地である長野県塩尻市奈良井地区に取材に出かけた。
中山道の宿場町のひとつだった奈良井宿は、今も約1kmの町並みが形成され、旅籠の軒灯、千本格子など江戸時代の面影を色濃く残している。木曽路で最も賑やかだったという宿場町の名残を、今もその街並みから感じることができる。
そして奈良井宿の隣には、木曽漆器の里である平沢がある。
中山道は、江戸と京都を結ぶ五街道のひとつだ。太平洋沿いの比較的平坦な海岸線を通る東海道に比べ、中山道は山間部を通るため峠や川越えが多いため、他の街道よりも宿場が多いのだそうだ。
中山道の中でも奈良井宿は木曽の山林地区にあり、曲物に適した桧や杉などの豊富な木材に囲まれていた。
塩尻市の公式HPによれば「史料から慶長12年(1607年)以前より奈良井では曲物が生産されていたことが確認できているが、塗物生産については寛文5年(1665年)が初見となる」とある。17世紀以降、尾張藩(徳川御三家)が木曽谷を支配し、木材の伐採統制を行った。無断伐採を禁じ、木曽檜は御用材として厳重に保護されることになり、大切な資源を確保することができた。

資源にも、流通の機会にも恵まれいた奈良井。今も、四方を見渡すと、青々とした緑の木々が山を覆っている。
軽くて丈夫な曲物は、とても重宝され、宿場町の土産物としても人気だったそうだ。そもそも宿場は、往来する多くの旅人たちのための食事や生活用品の需要が高い。特に江戸中期以降は、都市化によって人口が爆発的に増え、日常生活用具がの需要が一気に増した。さらに職人や労働者、参勤交代で訪れる武士など、妻子と離れて暮らす単身の男性が多く流入したことで外食産業の発展、そば屋が使用する曲物のせいろの多くが中山道を通って江戸に運ばれたという。
江戸の外食文化と中山道
江戸時代のお江戸の外食は、屋台・立ち食いの「蕎麦・寿司・天ぷら」などが主力。調理道具をみると、飯台(飯切り/半切り=寿司桶)、おひつ、せいろ・蕎麦道具、桶類などの木製道具が大活躍。
木曽・奈良井の曲物は、そば道具(蒸籠や蓋など)を含む日常の調理や盛り付けの用具として作られ、外食産業も支えていた。
岩井宏實『曲物』の中には、江戸~明治期に「東京の蕎麦道具製造組合」から奈良井に蕎麦蓋・蕎麦蒸籠の素地製作が発注されていた旨が紹介されている。今も、奈良井宿街道には、蕎麦打ち道具の専門店がある。
街並みを歩きながら店先を覗くだけで、弁当箱に止まらぬ、曲物技術の奥深さを感じることができる。

木地と漆がわかる「木曽くらしの工芸館」

前述のように、江戸時代初期には、奈良井はヒノキやサワラなどの薄板を曲げて山桜の皮で縫い止めて作る曲物や木工品の産地として知られていた。
そして隣接する平沢も『漆の文化史』(岩波新書、四柳嘉章)によれば、17世紀に漆器生産を開始していた全国25ヶ所の1つに名を連ねていて、その歴史は古い。
さらに明治時代、同地区で「錆土」という鉄分を多く含む土が発見され、それを下地に用いることで、より丈夫で滑らかな面を実現できるようになった。これにより、生活用具としての漆器だけではなく、高級品などの産地としても飛躍的な発展を遂げた。
道の駅木曽ならかわには【木曽暮らしの工芸館】に行くと、産地で育まれてきた豊かな漆工芸文化を知ることができる。
木曽漆器の制作工程がわかる
お気に入りのものがきっと見つかる
館内には、無垢や吹き漆、溜漆など、さまざまな曲げわっぱの弁当箱をはじめ、重箱や椀、箸など、数多くの地元の作り手による木工品が並んでいる。
伝統的なものもあれば、現代的なものもあり、これほどの数の中で、作り手の個性を1つの場所でゆっくりと見比べることができるのはとても貴重。
それぞれの商品には、作り手や工房名が記載されている。また館内には、作家や工房の紹介カードも設置されていて、気に入った作品の作り手がどのような人かを知り、必要に応じて工房を訪ねたり、後で問い合わせたりできる工夫も。
6月には、年に一度の大漆器市が木曽平沢で開催される。町並みには100店舗以上の店が建ち並び、中には蔵出し物が見つかることも。
お気に入りのお弁当箱を探しに出かけるのに、おすすめです!


『くらしの図鑑 お弁当』(翔泳社)
曲げわっぱのお弁当箱をはじめ、素材別のお弁当箱解説、おかずカップ、便利グッズ、持ち帰り弁当、冷凍食品…お弁当にまつわるいろいろなものやコト。その歴史や背景を取材してまとめました。大正時代や昭和初期の弁当レシピの再現や、お弁当を気軽に手軽に実践できるアイデアもたくさん。山中地区の取材の様子を盛り込んだ「樹脂製弁当箱」の変遷も収録。見て、読んで楽しい、一冊です。
2016年3月18日発売。

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