食にまつわるニュース

ジャムで家計は苦しくなるか

夏目漱石がジャムに? 3つの味を開発 熊本(朝日新聞デジタル2015年4月29日10時03分)

熊本県玉名市天水町で、地元ゆかりの文豪・夏目漱石にまつわるジャム「草枕の刻(とき)」が開発されたニュース。「来年は漱石が熊本に来て120年で、天水町は漱石の「草枕」の舞台。大の甘党だった漱石にあやかり、知名度向上にあまい期待を寄せている。」とのこと。

■ジャム好き、珍野苦沙弥先生

夏目漱石という文豪の甘いもの好きは有名ですね。
1902年、イギリス留学でヨーロッパの甘い味を覚えて日本に帰国した文豪。漱石とジャム、といえば、草枕よりも漱石の処女小説『吾輩は猫である』が思い浮かびます。

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吾輩は猫である 上編

今月家計の具合がどうも苦しいと

「それでもあなたが御飯を召し上らんで麺麭(パン)を御食べになったり、ジャムを御舐めになるものですから」
と妻から問いつめられても、平然と鼻毛を眺める主人の珍野苦沙弥先生、

「元来ジャムは幾缶舐めたのかい」
「今月は八つ入りましたよ」
「八つ? そんなに舐めた覚えはない」
「あなたばかりじゃありません、子供も舐めます」
「いくら舐めたって五六円くらいなものだ」

俺は毎日ジャムはなめるが、ビールのような苦いものは飲んだことがないんだそうですが、1か月で8缶ジャムをなめるのは結構なものです。

■日本のジャム生産の歴史

日本でジャムが作られ始めたのはいつ頃かと『日本の食文化史年表』(吉川弘文館)を見てみると
1871年 この頃,新宿の農事試験場でジャムの製造・販売開始、
1877年5月29日 内藤新宿勧農局にて、モモやスモモの国産ジャムの販売(読売)
1879年 開拓史、七重勧業試験場にてブドウジャムの製造開始
1881年 塩川伊一郎、日本で最初のイチゴジャム缶詰製造に成功

とあります。新宿の農事試験場とは、信州高遠藩の内藤家の敷地を政府が買い取り農業試験場とした場所で、東京大学農学部の前身。内藤新宿勧農局も同じ場所で、イチゴの品種改良を始め、メロンや青森のリンゴ、小豆島のオリーブもここが出発点と言われています。現在の新宿御苑です。

独立行政法人農畜産業振興機構のホームページによれば、
「①国産ジャム第1号はいちごジャム
日本で初めてジャムをつくったのは、明治10年、東京の新橋にあった勧農局(明治時代の内務省の内省)で、そのいちごジャムを試売したそうです。企業としての始まりは、その4年後、1881年(明治14年)のことで、長野県人により缶詰のいちごジャムがつくられました。以来、長野県はジャムづくりが盛んになりました。」

とあり、「1877年 内務省勧農寮試作の苺ジャム、スグリジャムを払い下げる」という記述もあります。ただ、1871年に作られたジャムがなんであるかに触れた文献を見つけることはできませんでしたが、新宿御苑のホームページによれば、

「明治31年(1898)、新宿御苑の農学博士であった福羽逸人(ふくばはやと)は、フランスの「ゼネラル・シャンジー」というイチゴ品種から国産イチゴ第一号となる「福羽苺」を作出しました。当時の新宿御苑は皇室の御料地だったことから「御料イチゴ」とも呼ばれ、門外不出とされましたが、その後、全国に広まってゆきました。」

とあるので、1871年の時点では、イチゴのジャムは作られていなかったのではと思います。

七重勧業試験場は、北海道の函館郊外に1863年に作られた農業試験場のこと。当初「七重官園」と名付けられその後、七重勧業試験場に改称されましたが、1872年に設けられた新宿の農事試験場よりも2年前に設立されていたそうです。
ここで作られたのが、ブドウジャム。北海道では、1876年に開拓使の開拓殖産事業として「札幌葡萄酒製造所」が開業されています。隣接の札幌麦酒製造所は、現在の”サッポロビール”の出発点。札幌周辺には、自生の山ブドウがあったそうですから、ブドウ加工は自然な流れだったのかも知れません。

塩川伊一郎さんとは、長野県小諸でモモの栽培に尽力し、生食の販路拡大およびモモの缶詰加工も手がけられた人。島崎藤村も教壇に立った地元の私塾・小諸義塾においても洋モモやイチゴの栽培が盛んに行われていたそうで、これらの背景からイチゴジャム缶詰誕生となったわけです。

1900年 木村儀四郎、ビスケット会社東洋製菓株式会社設立.また、ジャムパンを新発売
1909年 2代目塩川伊一郎、明治天皇・皇后に、自家製のイチゴジャムを献上する
1911年 明治屋成立.MYジャムの発売開始

木村儀四郎さんとは、あんぱんで有名な銀座木村屋総本店の三代目。このときに入っていたのは「あんずジャム」だったそうで、現在でも柿種型のあんずジャムパンは健在で、今も私たちは気軽に味わうことができます。

明治屋のホームページによれば、最初に発売されたのは缶入りイチゴジャム。6年後の1917年にはイチゴ、アンズ、ママレードの3種類が発売されています。いよいよジャムが普及してきた感がありますね。

■苦沙弥先生が食べたのはなんのジャムか

『吾輩は猫である』が発表されたのは、1905−1906年。

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吾輩は猫である 下編

上記の年号を見ると、珍野苦沙弥先生が家計が響くほど夢中でなめていたのは、さて何のジャムか。どうも、当時はまだジャムがあちらこちらに売っていたようには思えませんので、これでは確かに家計に少なからぬ打撃を与えそうです。

この謎を解き明かしてくれたのが、河内一郎さんの『漱石、ジャムをなめる』(創元社)。

河内さんの丹念な調べにより、酒類食料品卸問屋で1900年(明治33年)の相場表にカッチング製のイチゴジャムと、モルトン製およびキャンベル製ジャム(ともに具体的な果実名ナシ)、信州産杏ジャム、と1905年(明治38年)の相場表に甲州産ブドウジャム、信州産杏ジャム、信州産イチジクジャム、和製蜜柑ジャム、和製桃ジャム、キャンベル製覆盆子ジャム。覆盆子は木いちごと思われます。

 その他もろもろ丁寧な調べに基づき河内一郎さんは、苦沙弥先生は、1斤缶(現在の4号缶で530グラム程度)の輸入品のイチゴジャムを食べていたであろう、と結論づけています。

1斤缶を8つ。単純に計算すれば、4240g。実に4キロ以上を1ヶ月でなめることになります。価格で考えてみると、珍野苦沙弥先生は「一ヶ月八缶で五、六円ぐらいであろう」と言っています。明治30年頃の小学校の教員やお巡りさんの初任給は月に8~9円ぐらいだそうで、初任給の半分以上を1ヶ月でなめています。

■ジャムの定義

ちなみに、ジャムといっても、実はいろいろ規定があるそうです。
ジャム類の日本農林規格(農林水産省)によれば

ジャム類…⑴果実、野菜又は花弁(以下「果実等」と総称する。)を砂糖類、糖アルコール又は蜂蜜とともにゼリー化するようになるまで加熱したもの。⑵ 1に酒類、かんきつ類の果汁、ゲル化剤、酸味料、香料等を加えたもの
ジャム…ジャム類のうち、マーマレード及びゼリー以外のものをいう。
マーマレード…ジャム類のうち、かんきつ類の果実を原料としたもので、かんきつ類の果皮が認められるものをいう。
ゼリー…ジャム類のうち、果実等の搾汁を原料としたものをいう。
プレザーブスタイル…ジャムのうち、ベリー類(いちごを除く。)の果実を原料とするものにあっては全形の果実、いちごの果実を原料とするものにあっては全形又は2つ割りの果実、ベリー類以外の果実等を原料とするものにあっては5mm以上の厚さの果肉等の片を原料とし、その原形を保持するようにしたものをいう。

詳しくは、ジャム類の日本農林規格でご確認下さい。

そして砂糖を使わず、濃縮果汁で煮込んだ「砂糖不使用」のものは、「フルーツスプレッド」だそうです。皆さんのお宅の冷蔵庫にあるのは、ジャム?それとも?

これはプレザーブスタイル
これはプレザーブスタイル

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