年中行事と食

端午の節句に食べるのはちまき?柏餅?それとも…

もうすぐ端午の節句ですね。我が家も、末っ子長男の健やかな成長を祈って、ささやかながら兜を飾っています。
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端午の節句に食べるといえば、初節句の「粽(ちまき)」と子孫繁栄を願う「柏餅」が一般的ですが、この風習が全国的になったのはそんな遠いことではありません。元々日本各地には、祝いの日に餅を食べる文化が根付いていて、それぞれが発展しています。

■粽(ちまき)
ちまき中国伝来の菓子で、そのルーツは結構悲話。

紀元前340年生の愛国詩人である屈原が、妬みによる虚偽の密告によって王に疎まれ、最期は汨羅(べきら。現中国湖南省)の淵に身を投げた。ここには一匹の大きな鯉が住んでいて、身を投げた屈原の亡骸を故郷まで運び、屈原の姉に引き渡した、という説話が残っています。
そして屈原の死を、人びとが竹の筒に米を入れて川に投げて悼んでいたのが、300年後に屈原の再来を名乗る人物が現れ、竹筒の米が汨羅の川の蛟竜(幼い竜)に食べられちゃってるから、蛟竜がきらいなオウチ(楝。センダン)の葉で包み、5色の糸で結んでほしいと告げる。これが、現在の粽のルーツと言われています。

『日本風俗史事典』(平成6、日本風俗史学会編、弘文堂)で「粽」を引いてみれば、いくつかの文献が紹介されています。
最初にあるのが『延喜式』(927年完成)の「粽料糯米二石」なので、日本においても歴史の古さがうかがえます。江戸時代に編纂された百科事典『和漢三才図絵』からの引用は、「粳(うるち)をこねて状芋子の如くし、芦葉を以てそれをつつむ、または菰(こも)葉を以てこれを包み、菅あるひは灯心草(とうしんそう。いぐさの仲間)を以て縛り巻き、十個を一連となしてこれをゆでる」。とあるので、現在の粽の形に近い。

明治36年、新井白石は『東雅』で「我が国俗茅葉ををもて飯を包みしかばチマキといひし也」とし、今は飯だけではなくて、糕(コウ)・餅の類なんかも菰葉で包んで煮熟したものをチマキというようになってるよ、と言っています。
これを今に見ることができるのは、おそらく京都の川端道喜(京都市左京区下鴨通北山角)さんかもしれません。元は渡辺道喜。室町時代より内裏の御用達で500年の歴史を紡ぎ、明智光秀の好物だったと言われ、千利休からの書簡まである、とても由緒正しき老舗名店です。葛を使っているために半透明で、「水仙粽」と呼ばれます。

(写真は写真素材-フォトライブラリーより)

■柏餅
柏餅昭和23年、本山萩舟の『飲食系図』によれば柏餅の風習は「江戸時代の万治(1658-60)以後」と記されています。
ちなみに先述の新井白石と柏餅、足立栗園という人が書いた『近世立志伝』の河村瑞軒編に出てきます。白石は負けず嫌い故に、金持ちの瑞軒のコネを嫌って一時お付き合いを遠ざかっていたそうですが、その後堀田家に仕官してから仲直りを申し出たときに、瑞軒がお祝いの品として柏餅を送った、という話が収録されています。

明治45年『甘藷里芋馬鈴薯料理』というレシピ本には「柏餅もどき」が登場し、大正2年に刊行された手塚かね子(日本女子大教授。料理研究家)による『文子の家事』では上新粉とあんこを取り出して柏餅を作る様子が描かれているので、日常生活の中で柏餅を端午の節句に食べる風習が根付いてきたことがうかがえます。

粽と柏餅、それぞれの歴史を簡単にみましたが、『郷土と行事の食』(全集日本の食文化第12巻、芳賀登・石川寛子、雄山閣)の中には、端午の節句の祝うための団子、ちまき、餅などに関する調査があります。分布図を見てみると、柏餅を食べる習慣は、関東から東海にかけて。日本全国、端午の節句には、その地域ならではの菓子を食べる風習がちゃんとあります。

■べこ餅(北海道、青森県下北半島)
image先日友人がくれたのが「べこ餅」。北海道地方の菓子で、端午の節句に食べる風習があるそうです。木の葉型で、米粉と砂糖を練ったもので、ねちっとした食感でなかなかの美味です。北海道文教大学人間科学部健康栄養学科が2011年に出した文献には、北海道内の分布や形状の種類、ルーツに関する考察が記されています。

同じ「べこ餅」という名の菓子が、青森県の下北半島のほうにも郷土菓子として存在します。こちらはちょっと様子が違う。すあま、みたいなものが発展するに従って、飾り寿司のように切り口の美しさという技術を高めていった感じです。「大間町では、子どもが成長し、大物になるようにと願いを込めて「くじらもち」とも呼ばれていた。」とあり、漁師の町ならではのエピソード。ちなみに青森市のくじらもちは、味や食感こそ似ていますが、見た目は全然違います。ちなみに、津軽生まれの祖母は、端午の節句には笹でくるんだヨモギ餅を作ってくれました。

<参考サイト>
餅菓子文化の伝承-北海道における『べこもち』の歴史と地域性-
あおもり食の文化伝承財 レシピ べこもち(こぎく)(青森産品情報サイト「青森のうまいものたち」より)

■笹巻き、ひし巻き(秋田県南部、山形県、福島県)

笹巻き鶴岡市をはじめとする庄内地方では、「笹巻き」を食べる風習があるそうです。三角形で米粒が残っているのが特徴的。福島県喜多方市周辺などでは「ひし巻き」と呼ばれています。巻き方が違うものの、ちまきと似ています。山形では使われる笹の葉は土用のものがいい、という言い伝えがあることも紹介されています。

写真素材-フォトライブラリーより)

<参考サイト>
秋田の海・山・里の伝統食100選(あきた食の国ねっと)
つるおかおうち御膳 伝統と食文化(鶴岡食文化創造都市推進協議会)
にこにこキッチン(福島県喜多方市)

■笹団子、笹餅(新潟県)

笹団子(新潟)

新潟の名産物としても有名な笹団子。端午の節句にも食べます。筒型であんこ入りのものも多数。上杉軍が兵糧食として携帯していたことでも有名で、端午の節句にぴったりの伝承ですね。

新潟周辺は、本当に興味深いエリアです。先述の『郷土と行事の食』の中に、端午の節句に新潟県周辺が何を作るのかについて1970年〜1990年初頭にかけての調査結果が地図上で示されています。それを見ると、新潟県でも富山県に近い日本海側あたりは、端午の節句に特別なものを作らない(米作地帯でさなぶりの時期で忙しいから、という説あり)、または笹餅やぼたもちやお赤飯を作るご家庭が多い。一方日本海側でも中央から山形県よりまでの日本海側は三角ちまき。県中央部から群馬県よりまでは圧倒的に笹団子、佐渡は笹巻きまたは茅まき。さすが、米どころならではの豊かさだなあ、と感動します。

<参考サイト>
第21回 上杉謙信と笹団子〜「米どころ新潟」が生んだ伝承(キリン食生活研究所)

■あくまき(鹿児島県、宮崎県など九州南部)

竹などを燃やした灰からとった灰汁(あく)に浸したもち米を孟宗竹の皮と紐状にした棕櫚の葉で包み、灰汁水で煮込んで作っています。関ヶ原の戦いの際、薩摩藩主である島津義弘公が兵糧食としたのが始まりと言われているそう。上杉謙信の笹団子と謂れが似ていますね。私は食べたことがないので、興味津々です。

<参考サイト>
鹿児島の郷土料理 あくまき(かごしまの食ウェブサイト)
高原町のあくまきの作り方(宮崎県町村会)

とまあ、いくつかまとめてみました。端午の節句だけあって、戦国武将にまつわる話が多いというのが印象的です。

皆さんのお宅では、端午の節句に何を食べますか。そして、皆様のお子さんの健やかな成長を心からお祈りします!

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