2月最初の午の日を「初午」と言う。この日は、お稲荷さんにお参りする日だ。
神社の脇や町の路地、民家の庭まで今でもあちこちで祠を見つけることができる稲荷は、京都の伏見稲荷が総本社と言われている。今では商売繁盛のご利益の印象が強い稲荷神社だが、もともとは、食物の神、農業の神として農家の人々による民間信仰が中心だった。
稲荷と言えば、いなり寿司がすぐに思い浮かぶ。狐は稲荷神の使者で、狐は油揚げが好きだという俗説(本来キツネは肉食動物)から、油揚げで飯を包んだものを稲荷寿司と呼ぶ。信太(しのだ。篠田とも)寿司という呼び名もある。
江戸時代の百科事典『守貞漫稿』には、天保年間には大飢饉の後から、袋型の油揚げの中にキクラゲと干瓢の煮たのを混ぜた寿司飯を詰めた稲荷鮓を、両国辺りで振り売り屋が売っていると書いている。ワサビ醤油をつけて食べたそうだ。「最も賤価」つまり安い寿司だとも言っている。
次の元号の弘化年間には、十軒店(今の東京日本橋室町3丁目あたり)に稲荷屋治郎右衛門の店が登場、稲荷寿司を売って大繁盛し1日1万個売れたという。
弘化の後、嘉永5年の安藤広重の『浄る理町繁花の図』には「志の多巻」を売る様子が見える。油揚げにおからを詰めて巻いた細長いようなものを包丁で切って売っている。いわゆる四文屋の1つ。
江戸名物、伊勢屋、稲荷に犬の糞(伊勢商人と稲荷寿司、そして犬の糞は江戸の町を歩けばあちらこちらにある)と、鹿政談の枕詞にも言われるほどだから、さぞかし流行ったのだろう。
天保12年に横浜で創業した「いなり寿司泉平」は、今も馬車道通りに本店がある。明治創業の「神田志の多寿司」は神田淡路町に、六本木の「おつな寿司」は、油揚げをひっくり返して酢飯を詰めている。
今年の初午は2月9日。この日に稲荷神社にお参りしておいなりさんを食べるのも、なんだか縁起が良さそう。
■家で作りたいと思ったときには
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