今日は節分。立春のイブである。
我が家の今日の朝食は、イワシの丸干し、セリと水菜と豆腐のすまし、のり巻き、福豆。
起きて来た娘たちが開口一番「魚臭い!」と言うので、それは何より鬼が寄ってこないねえ、とそそくさと換気扇を回し窓を開ける。
明日から季節が春になるので、その分かれ目の日なので節分。現在の太陽暦の前の太陰暦いわゆる旧暦では、この辺りが正月だった。立夏も立秋も立冬の前日節分だが、立春正月が特に強く、立春の前日をとりわけ指すようになったという。
節分には豆まきをする。節分の夜に炒り豆を玄関や各部屋に「鬼は外、福は内」と言ってまく。福は内、のかけ声のみの地域もある。陰陽道の星運や干支によって恵方に動き厄を払う「方違え」(かたたがえ)は平安時代に行われ、『源氏物語』にもその場面が登場する。いちいち動くのが面倒なので、宿を移さず部屋だけ動き、良くない方角の部屋の厄除として豆を打ったと言われる。遣唐使が持ち帰った追儺の儀式が室町時代には有職故実化し、これらが混合して、さらに庶民に普及して今に至る。まいた後は、年齢の数またはそれに1つ足した数の豆を食べる。子どもの頃は物足りないが、大人になればなるほど食べるのが大変になる。
豆と鬼の説話は全国各地にある。夜叉や鬼を配下に置く毘沙門天が鬼に苦しむ村人に、豆で鬼の目(魔目)を打つよう命じて退治したとか、村人を苦しめる鬼が神の策略にはまり退散する際「豆の芽が出る頃に仕返しにくるぞ」と捨て台詞を残して去ったため、その年の豆が芽を出て鬼が再来せぬように炒ったのが炒り豆の始まりだとか。由来は各地で大変魅力的な口承説話となって人々の暮らしに根付き、定着している。
節分にはイワシも食べる。焼き嗅がし、やいかがしとも言う。イワシは臭い魚で、焼いた時の臭さを鬼が嫌うために邪気払いになる。臭み増しにネギやにんにくを一緒に焼く地域もある。焼いたイワシの頭は、柊や豆がらに刺して玄関先に掲げる。これにつばをかける地域もある。柊はトゲがあるので鬼が入ろうとしてもトゲトゲが刺さって痛いから鬼が入ってこないというわけだ。
もう1つ、近年全国的に流行している節分の習慣に「恵方巻き」がある。関西地方の節分の習慣として知られ、関東地方では1990年代にスーパーなどでも売り出しが始まり、後半にはコンビニでも販売開始。ここで一気に関東では一般家庭にも普及することになる。
食酢メーカーであるミツカン社による2006年1月のニュースリリースによれば当時のアンケートで全国的に認知度は90%近くに、実際に食べた人も半数以上にのぼる、と発表している。
(http://www.mizkan.co.jp/company/newsrelease/2006news/060113-00.html)
海苔業界やスーパー、コンビニ各社の販売戦略は当然だろうが、私たち日本人はなにせ元々縁起物が大変好きだ。正月に食べるおせち料理を覗けば、ダジャレ混じりに縁起担ぎの食べ物づくし。
縁起物の代表のような七福神だって、元々は各地でそれぞれが信仰され親しまれていた神様。これが、もっともっと縁起を、と求める庶民の欲望から室町時代あたりからセットになった、という話もある。雛祭りや端午の節句しかり、花見しかり。今の年中行事や歳時などを見れば、平安貴族の有職故実を庶民が真似て、それが季節や生活、人々の思い出などがからみあって文化が形成され、暮らしに浸透した。私が孫やひ孫を持つ年になれば、恵方巻きという風習も、そんなふうに暮らしの中ににじむようになじんでいくのかもしれない。
そもそも、民間信仰に「正しい形」をうるさく言うのは無粋にも思える。恵方巻き、縁起物好きな江戸っ子が知っていたら飛びついたことだろう。なにせ、縁起が良くて、おいしいときたら、悪いことはひとつもないのだから。